こんにちは、きなこぬこです。
今回は米澤穂信先生の「遠まわりする雛」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。
古典部シリーズ4作目にして初めての短編集です。2021年に「氷菓」としてアニメ化された時には、この作品までが映像化されています。
あらすじ
やるべきことなら手短に
入学して二週間が経ったある日の放課後、課題のせいで居残りをしていた奉太郎の元に里志が訪れ、学校で流行っている怪談話を始める。そこへ好奇心旺盛なえるがやってきて、怪談の真相を確かめてみることになる。
大罪を犯す
古典部メンバーに怒ったところをみたことがないと指摘を受けたえるは、数学教師のクラスメイトへの理不尽な振る舞いに腹を立てたエピソードを話す。しかし、その時数学教師は何故そのような振る舞いをしたのかがわからず考えることになる。
正体みたり
摩耶花の親戚が経営している旅館を訪れた古典部。旅館には閉鎖されたいわくつきの客室があった。夜に目が覚めた摩耶花とえるは、例の客室の窓に首を吊っている影をみる。
心あたりのある者は
奉太郎を高く評価するえるに反論した彼は、自分が全くすごい人間ではないことを証明するためにえると勝負する。お題はたまたまアナウンスされた生徒を呼び出す放送。短い放送から意図や状況を推測していく。
あきましておめでとう
えるに誘われて元旦に初詣に出かけた奉太郎。忙しそうにしている神社の手伝いをするため蔵に頼まれたものを取りにいくが間違えて納屋に入ってしまったうえに、閉じ込められてしまう。
手作りチョコレート事件
一年前のバレンタイン、里志は摩耶花のチョコレートを受け取らなかった。リベンジに燃える摩耶花は里志に今年こそ受け取ってもらうため、チョコレートづくりに励む。ついに迎えたバレンタイン当日、古典部の部室に置いていた摩耶花の用意したチョコレートが忽然と姿を消してしまう。
遠回りする雛
「生き雛まつり」に代理で参加することになった奉太郎は、居場所のなさを感じながら祭りの準備を進める地域の人たちの様子を眺めていた。しかし、連絡の行き違いから生き雛が渡る予定だった橋の工事が進められており、ルートの変更を与儀なくされる。
以下はネタバレを含みます。
感想
短編集ということでいつにも増してサクッと読めてしまいますが、各話で繋がりがあるお話もありました。
時系列としては、「やるべきことは手短に」「大罪を犯す」が入学から氷菓事件までの間、氷菓事件後に「招待みたり」、それ以外は「クドリャフカの順番」以降の物語になりますね。
個人的に注目したいのは奉太郎とえるの関係の変化でしょうか。このシリーズは奉太郎とえるのボーイ・ミーツ・ガールものだと勝手に思っています笑 また、今まであまり触れられなかった里志と摩耶花の曖昧な関係が描かれていて、なるほどなと思いました。前作でも触れられていましたが、里志は自己肯定感がとても低いのですね……気持ちはわからないことはないですが、摩耶花の気持ちにこたえてあげてほしいなと思いました。
考察
砕かれたチョコレート
今回一番印象深かった「手作りチョコレート事件」について考えます。
チョコレートを盗んだ犯人だった里志を問い詰める奉太郎に対し、里志は次のように話します。
「だけどねホータロー。それじゃ駄目なんだ。絶対に駄目だ。僕が望むから僕は物事にこだわらず、僕がそうしたいから摩耶花にこだわる。……それのどこに摩耶花がいるっていうのさ」
一年前のバレンタイン、里志は摩耶花の作ってきたチョコレートをあれこれ理由をつけて受け取りませんでした。あたかもチョコレートにこだわりがるかのように話して。しかし、本当はチョコレートにこだわりがあるわけではなく、受け取らない理由を、摩耶花の告白を断る言い訳をしていただけでした。
広く浅く、気の赴くままに好きなことをするのが里志の信条です。そして、あらゆる分野において第一人者になるためには才能も努力も足りないことを自分で理解することで、物事にこだわらない、一番を目指さないことを自分のルールにしています。前作「クドリャフカの順番」の一件は、この「こだわらない」という信条をさらに固めるきっかけになったのでしょう。
そんな、本人いわく底の浅い人間である里志は、何かに全身全霊をかけて情熱を注ぐことができる摩耶花に自分は見合う存在ではないのではないか、と迷っています。
摩耶花を受け入れてしまうことは里志の望みであるがために、「物事にこだわらない」という里志の信条に背反してしまうことになります。
摩耶花は何かに全力で打ちこみます。漫画にも全力ですし、怒りっぽい性格もひたむきに打ち込むストイックさから自分に厳しいだけではなく他人にも厳しいからなのでしょう。そんな彼女の姿と比較して、里志は自分の物事へ対する実直さの浅さをより感じてしまい、自分には不釣り合いではないかと考えてしまうのでしょう。
しかし、摩耶花を突き放すことも結局は里志自身のアイデンティティを考えたうえでの自分勝手な考えによるものであり、このままでは二人は永遠に結ばれません……今後里志が自分の信条に縛られることなく考えることができるようになれたらいいなぁと思いますが……今後に二人の進展を見守るしかないですね笑
奉太郎の自己イメージ
安く見られることは笑って流せても、高く買われることは聞き捨てならない。
作中の奉太郎の心の一言ですが、普通は逆でしょう笑 彼らしいといえば彼らしいのですが笑
バレンタインでチョコレートをもらうことに関しても嬉しいことだと思うだけではなく、以下のように考えています。
しかしその嬉しさは、自分が一個の個人として思いがけず認められたという嬉しさと同じだと予想する。(中略)「どこがいいのかてんでわかりませんが、表彰してくれるならお受けしますありがとう」だ。
先に言及した里志と同じく、奉太郎も自己肯定感がかなり低いようです笑
「遠回りする雛」でえるを眩しく思ったとき、心で思うことはあっても言葉にすることが出来ませんでした。「手作りチョコレート事件」での里志の気持ちに共感しています。ここまでの作品、特に第二作目の「愚者のエンドロール」では、奉太郎自身の葛藤が大きく扱われています。今回は物語ごとに時間間隔がある短編集だったため、奉太郎の心境の一年間の変化も見えやすかったですね。
灰色の高校生活を目指しながらも、えるとの出会いにより本当に少しずつですが脱省エネしているように見えます。本人にはそんなつもりはないかもしれませんが笑
「遠回りする雛」で、奉太郎はえるにドギマギしている様子が描かれています。しかし、本人も言っているように、恋愛にはエネルギーが必要です。省エネでい続けることが不可能になってしまいます。
しかし、「手作りチョコレート事件」で奉太郎は明らかに里志に怒りをぶつけましたが、これは里志のためでも摩耶花のためでもましてや自分のためでもなく、えるのためでした。
このことから、本人も気づかないうち少しずつ脱省エネ、つまり、えるに惹かれていっているように感じます!
今後奉太郎がどこまで自主的にエネルギーを使うようになっていくのか楽しみですね!笑
まとめ
いかがでしたか?今回は米澤穂信先生の「遠まわりする雛」についてまとめさせていただきました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!
コメント
[…] […]
[…] […]
[…] […]