【「ラプラスの魔女」東野圭吾先生(ネタバレ注意)】あらすじ・感想・考察をまとめてみた!

ミステリー(国内)

こんにちは、きなこぬこです。

今回は東野圭吾先生の「ラプラスの魔女」を読んだ感想・考察についてまとめてみました!

トリックを解くことはできないタイプの推理小説ではありますが、それぞれの登場人物の思いを汲み取っていくおもしろさがあります。

2018年には青江修介役:櫻井翔さん、羽原円華役:広瀬すずさん、甘粕謙人役:福士蒼汰さんで映画化されていましたね!

あらすじ

地方の温泉地で硫化水素による中毒事故が発生した。亡くなったのは映画プロデューサーの水城義郎で、妻の千佐都と共に訪れた温泉地で悲劇に見舞われた。地球科学の研究者である青江は、現地に赴き専門家として捜査に関わるが、事故としか考えられない状況である。そこへ不思議な力を持つ少女が現れ、人探しをしながら事件を調べていることを知る。事件の捜査に携わった刑事の中岡は、事故ではなく事件として調査を進めていくが、この事件には過去のある一家の事件が関わっていることが明らかになっていく。

以下はネタバレを含みます。

感想

先程トリックは推理できないと話しましたが、事件の概要の推測は可能かと思います。ただし、ここに物理学等の専門知識が絡んできたりするところが東野圭吾さんの面白くて難しいところですよね!笑

今回は自分の専門の医学関連で少しヒントがあったのですが、疑問を感じながらもすごく細かいところだったのでスルーしてしまいました…

オムニバス形式で信仰していた物語が収束していく過程は非常に面白かったです!

考察

『ラプラスの魔女』とは?

まず、表題となっている『ラプラスの魔女』とは一体何なのかをまとめて、考えていきたいと思います。

ナビエ・ストークス方程式とラプラスの悪魔
ナビエ・ストークス方程式

流体の運動を記述する2階非線型偏微分方程式であり、流体力学で用いられる。

wikipediaより引用

現代のスーパーコンピューターを持ってしても証明が難しいこの方程式を、作中で登場する甘粕謙人と羽原円華は直感的に演算することが可能であり、この原理を研究することによりナビエ・ストークス方程式を証明しようとしています。

ラプラスの悪魔とは

この世に存在する全ての原子の現在位置と運動量を把握する知性が存在するならば、その存在は、物理学を用いることで、これらの原子の時間的変化を計算できるだろうから、未来がどうなるのかを完全に予知できるー

上記は本文のラプラスの悪魔についての説明から引用しています。

ラプラスとは、18世紀のフランスの数数学者、物理学者であるピエール=シモン・ラプラスのことを指します。

ラプラスが上記のように語ったと言われており、物理法則を用いた予知が可能である存在のことを『ラプラスの悪魔』と呼んでいます。

作中でも、甘粕謙人に対してこの名称が使われていました。

スーパーコンピューターとなった少年少女

謙人と円華の2人はは円華の父である羽原医師より脳の手術を受けています。

謙人の時は治療の結果偶発的にですが、円華の時は目的を持って脳を手術しています。

その目的は、謙人と同じ超人的な演算が瞬時に可能な人間を作ることでした。

結果として2人ともスーパーコンピューター顔負けの物理演算による予知が可能となります。

人間を含む生き物の行動予測は困難な様子ですが、人間を一つの原子とみなして全体の流れを演算すれば、動向の予知は可能なようです。

ラプラスの魔女が誰なのか

結論から言うと、ラプラスの魔女とは羽原円華のことでした。

悪魔との対比として魔女という言葉選びがされていましたが、作中に円華自身もラプラスの魔女になると発言しています。

竜巻に巻き込まれるという事故にあった円華にとって、竜巻によって知らない世界に迷いこんでしまう「オズの魔法使い」にはたくさんの魔女が登場することも関連しているのではと予想します。

竜巻と魔女といえば…という連想ではありますけどね笑

発生を予想しにくい竜巻を自分の演算で予知し、物語の終盤では似たような急激な気候変動を的確に予知した上でそれらを利用した円華のことを、自身の過去の辛い記憶を乗り越え、気候を自在に利用することができるようになった魔女と呼ぶこともできるのではない

2人の父親

この作品の中心には羽原親子と甘粕親子の2組の親子が存在していますが、父親である羽原全太朗と甘粕才生にはいくつか共通点があります。

一番重要なこととしては、自分の目的のために自分の子供を利用したことです。

羽原全太朗は自身の研究のため、甘粕才生は自分の映画監督としての人生を彩るというエゴのために子供を犠牲にしました。2人とも子供を犠牲にしたという認識は持っています。

どちらも倫理的観点から言えば父親として失格かもしれません。

しかし、2人の間には決定的な違いがあります。

それは父性があるかないかということです。

羽原全太朗は円華に対し人体実験を行う時、戸惑いを感じていました。最終的には自分の欲望が勝り円華に対して手術を行いますが、彼を立ち止まらせたのは父性による防御機構であると考えられます。

対して、甘粕才生は父性を最初から持ち合わせていません。

作中では父性欠落症であることが紹介されています。

そのため、子供を守るという考えはなく、躊躇うことなく子供や家族を自分のエゴのために利用したのでした。

甘粕才生のエゴ

甘粕才生という人物

甘粕才生とはどのような人物か、端的に纏めると以下のようになります。

  • 完璧主義(自身に属する者(家族)にも完璧を求める)
  • 父性の欠落
  • 理想主義
  • 自己中心的
  • 自己の才能に絶対的自信を持っている

まぁ、個人的には近くにいたらあまり関わりたくないタイプの人間ですね…笑

甘粕才生のブログと現実の乖離

甘粕才生は自身の家族が硫化水素中毒により死亡し、謙人が意識を取り戻して回復していく過程をブログに書き記しています。

最初はその内容を読んで、絶望の中から希望を抱き立ち上がる姿に心打たれましたが、話が進むうちにそれらの内容が全くの嘘で、甘粕才生の都合の良いように書かれていることが明らかになっていきます。

  • 娘の自殺による事故→甘粕才生が主導して起こした殺人事件
  • 娘は血の繋がりがない子供であり、自分は娘と妻から隠され続けていた→正真正銘甘粕才生の子供
  • 家族が甘粕才生のことを慕っていた→実際は慕われるどころかすごく嫌われていた

以上のように、現実と真実がひどく乖離しています。

甘粕才生はブログの続編であるエッセイを出版しようとして執筆していましたが、その最後に

自分に見えたものがすべて、でいいではないか

と記しています。

この言葉が甘粕才生の行動の全てを集約していると考えられます。

甘粕才生は自分にとって理想とは程遠いと感じた家族を殺して消し、あたかも感動的な家族の物語としてブログに書き記すことで周囲に認知させ、自身の映画監督としてのエゴを見たそうとしていました。

全ては周囲からの評価を気にしており、内実は伴っていない空虚なものです。自分自身のことが大好きで、周りの人に沢山の迷惑をかけています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?今回は東野圭吾先生の「ラプラスの魔女」についてまとめさせていただきました!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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