【「虚構推理 逆襲と敗北の日」城平京先生(ネタバレ注意)】あらすじ・感想・考察をまとめてみた!アニメ2期放送中!虚構推理シリーズ5作目!眼を閉じる琴子と六花の意味は?

ファンタジー

こんにちは、きなこぬこです。今回は城平京先生の「虚構推理 逆襲と敗北の日」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。

今作は虚構推理シリーズ5作目ですね!

2019年にアニメ1期が放送されています!


引用元:「虚構推理」公式 YouTube

現在アニメ2期放送中です!


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虚構推理シリーズのまとめ記事はこちら!

あらすじ

警察からの連絡を受けて琴子と九郎が向かった先には、長らく姿をくらませていた九郎の従兄妹、桜川六花が待っていた。偶然転落事故に居合わせ容疑者となっていた六花は、山中でキリンの亡霊に出会ったという。そのキリンの亡霊は、琴子が妖怪たちから相談を受けていたものだった。被害者たちはそのキリンに追われて崖から転落したとのことだが、彼らが山に入った背景にはある「呪い」があった。唯一の生存者である丘町冬司は何か企んでいる様子。琴子は秩序を守るために事態の収束に動き出す。

以下はネタバレを含みます。

漫画では何巻に収録?

今作収録作は漫画版では以下に収録されています!

「見たのは何か」35~37話(14巻)

「岩永琴子の逆襲と敗北」39~49話(14~16巻)

感想

本編のキリンの亡霊に関する事件の前に、わざと目撃者を作って運に任せるという事件が前日譚として語られていました。そのおかげで、琴子が創り上げた虚構の論理である「運任せ」の行動がすんなり受け入れられてしまい、読者が真相を見つけにくくなっています。

正直、犯人が自殺するというのは後味の良い解決ではありません。琴子は自殺したことを聞いた直後に夕食のことを考えています……自分が犯人を自殺に導いたと言っても過言ではないにも関わらずなんの罪悪感も感じていない、この場面の琴子が恐ろしく人間らしくないと感じてしまいました。なんだか、作品が進むにつれて琴子はどんどん人間性を喪失してませんか……?

途中まで完璧な解決へと導いた琴子が六花に圧勝したかと思っていましたが、この完璧であり苛烈で非情な解決をすることこそが琴子の敗北でしたね。琴子が知恵の神として人間性を切り捨てていく中、唯一確実に残っている九郎への恋慕という人間的な感情を六花に指摘されてしまいました。 今後の琴子が知恵の神である自分と人間としての感情を持った自分との板挟みになることで精神的に追い詰められてしまうのではないかと心配です……

最後の六花と九郎が2人で会話するシーンで、今まであまり焦点が当たることのなかった九郎の心情が描かれていて嬉しく思いましたが!言葉にして気持ちを伝える琴子よりも普段は冷たくあしらっている九郎の方が相手を大切に想って未来のことを真剣に考えている様子だったので驚きました。よく考えてみれば、今まで作中で描かれていた九郎は琴子から見た九郎がほとんどなんですよね……琴子にとって優しさは自分の要求に何でも応えてくれることや知恵の神としての活動を手伝ってくれることであって、琴子のことを思ってした行動も理解されていないようですね……琴子はやはり六花が言うように他人が示す愛情をうまく受け取ることができないのかもしれません。そう思うと、この関係が報われないのは琴子ではなく九郎であり、六花が全力で邪魔してくるのも納得ですよね笑

考察

今回個人的に気になったのは、琴子と六花がそれぞれの最後の登場時に目を閉じる描写があったことです。今作では終始2人を対比関係として描いていたので、同じ行動で締めくくっていることが気になりました。

岩永琴子の場合

六花こそ加わったが、秩序は守られている。何ら問題ない。

岩永は自身に言い聞かせ、アイスクリームを口に入れながら左眼を閉じた。

キリンの事件を知恵の神として見事に解決した琴子は、この前の場面で六花に言い負かされています。こうして、六花の目的である「普通の人間に戻ること」に協力することになったのですが……この描写が示すものを3つ考えてみました。

過去を見る左眼を伏せる

一般的に、右眼は未来を、左眼は過去を見ると言われています。六花を迎えざるを得ないことになた琴子ですが、これまでの六花の行動を考えると知恵の神としてそれは正しいのでしょうか?六花は鋼人七瀬を生み出して秩序を乱し琴子と対立し、その後は琴子から逃げ回っていました。このことから、琴子が知恵の神として取るべき行動は六花の断罪であり、今後も秩序を乱すリスクが高い六花を排除することが適切だと思います。しかし、実際はお咎めなしとしていることから、過去を見る左眼を伏せることで六花の過去の罪から目を逸らしていることを意味しているのではないかと考えました。

人間としての左眼を伏せる

琴子の右眼は義眼ですが、左眼は本来の自分の眼です。本来琴子は知恵の神として秩序の外の存在である九郎と六花を排除しなければいけません。現在は九郎の能力が便利であり、六花が敵対していることからも九郎の能力が必要不可欠だったため九郎を排除するという考えはありませんでした。しかし、その有用性がなければどうなのでしょう?正直、2人とも排除する対象ですよね?そのことを六花に指摘されたことで、琴子はシリーズ内で初めて見せるほどに狼狽してしまいます。琴子が焦ったのは、自分が九郎を利用しているだけなのではないか、そして必要なくなれば九郎を切り捨ててしまうのではないかということに気付い、そのことで九郎に嫌われることでした。しかし、この感情は知恵の神として人間性を捨ててきた琴子に残っていた少ない人間らしい感情であり、知恵の神として振舞うためには判断を迷わせてしまう可能性があります。また、六花は琴子が「(九郎との未来がないことの)救いのなさに耐えられないため、無意識のうちに避けているからかもしれない」と分析しています。この先も琴子が知恵の神としてあり続けるためには、秩序を守るという行動に迷いを生じさせてしまう感情は捨てた方が良いのです。以上のことから、人間らしい自分の気持ちから目を逸らしていることを意味しているのではないかと考えました。

現状を見る視界を閉ざす

琴子の眼は右眼が義眼であるため、左眼しか視えていません。知恵の神として秩序を守る存在でありながらも、六花の秩序を乱す行動を黙認、さらには協力までしようとしています。秩序を守るための存在である琴子が、率先して秩序を乱す行動をとることになっています。秩序は守られている。何ら問題ない」という文章は、まるで琴子が自身に執拗に言い聞かせているみたいですよね。以上のことから、自身の視界を閉ざしてしまうことで現状から目を逸らしていることを意味しているのではないかと考えました。

桜川六花の場合

一方六花は、以下のように締めくくっています。

前途は多難だ。うまくいっても、誰かが何かを失う。秩序は守られても、守りたいものは守れないかもしれない。

(中略)

六花は息をつき、ひとまず両目を閉じた。

六花も琴子と同様に眼を閉じています。しかし、ここで注目してほしいのは「ひとまず」という言葉です。

今作でのやり取りから、六花は琴子よりも正確に現状の危うさを把握できている様子です。そして、何とかして「誰かが何かを失う」未来を回避しようとしています。現状が不安定であり、いつ均衡が崩れてもおかしくないことを理解しながらも、今は一旦問題を先延ばしにしようとしているのではないかと考えました。これは、最も立場が危うい九郎が現状を理解した上で満足していたからなのでしょう。

しかし、琴子と違うのは現状を理解した上で一時的に眼を反らしているだけであることです。その点において今作の六花は琴子に勝っており、それが勝敗をわけたのではないかと思います。

まとめ

いかがでしたか?今回は城平京先生の「虚構推理 逆襲と敗北の日」についてまとめさせていただきました。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

虚構推理シリーズの他の作品はこちら!

1作目 「虚構推理」

2作目 「虚構推理 短編集 岩永琴子の出現」

3作目 「虚構推理 スリーピング・マーダー」

4作目 「虚構推理短編集 岩永琴子の純真」

コメント

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