【「儚い羊たちの祝宴」米澤穂信先生(ネタバレ注意)】上流階級の優雅な暮らしに潜む不穏……?あらすじ・感想をまとめてみた!

ミステリー(国内)

こんにちは、きなこぬこです。今回は米澤穂信先生の「儚い羊たちの祝宴」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。

あらすじ

身内に不幸がありまして

上紅丹地方で強大な権力を持つ丹山家の跡取り・吹子。周囲からの重圧にも負けず、強く美しく完璧に振舞う彼女は、大学生になって入った読書会『バベルの会』の夏合宿を指折り数えて楽しみにしていた。しかし合宿の二日前、勘当になっていた吹子の兄の宗太郎が屋敷に押し入り、使用人を殺害する事件が起こった。表向きは宗太郎は死亡したことになり、吹子は合宿への不参加を与儀なくされる。そして、翌年から同じ時期に丹山家の人間が謎の死を遂げるようになる。

北の館の罪人

六綱家の婚外子であるあまりは、母がなくなったことをきっかけに六綱家の別館に住み始める。そこには長子であるはずの早太郎がひとりで暮らしており、あまりは彼の身の回りの世話をすることになる。早太郎を別館から出さないように言いつけられていたが、あまりは外出が許されていた。早太郎の一風変わった願い依頼に応えるため、あまりは様々なものを買って帰る。

山荘秘聞

高地の別荘「飛鶏館」の管理のために雇われた屋島は、一年以上経っても雇い主が別荘を訪れず、自身が管理を任された素晴らしい別荘でもてなしができないことに歯がゆさを感じていた。そんな中、登山中に遭難した男性を発見して保護する。彼を探すために訪れた捜索隊には彼を保護していることを隠し、屋島は捜索隊の面々をもてなすことにする。

玉野五十鈴の誉れ

土地の有力者である小栗家の跡取りの純香は、十五の誕生日にお付きの者としてあてがわれた玉野五十鈴と出会う。主従の関係を超えて友人のように過ごし、大学生になると家を出て二人で暮らし始めた純香は、五十鈴といることに幸せを感じていた。しかし純香の父の兄弟が殺人事件を起こし、純香は家に呼び戻されて五十鈴と離れ離れになり監禁される。

儚い羊たちの晩餐

大寺鞠絵は父が会費を出資しなかったことにより『バベルの会』を除名されてしまう。吝嗇でありながら見栄っ張りの鞠絵に父は、厨娘と呼ばれる一流の料理人を雇う。大量の食材を買い込んで調理するため莫大な費用がかかる厨娘の料理に母は難色を示すが、父は意地でも厨娘を手放さない。これまでの厨娘の雇い主たちが厨娘に一度も依頼したことのないものを料理させたいと考える父は、鞠絵に助言を求める。

以下はネタバレを含みます。

感想

身内に不幸がありまして

今作に収録されている短編の中でも群を抜いて動機に納得できない一作ですね笑 常に人の目を気にして自身を律している丹山吹子にとって、意識がない状態になる睡眠が恐いというのは分かりますが……他人と一緒に寝ないためにそこまでするのかという。どんな約束も断ることのできる”魔法の言葉”を使うために、どんな手段も厭わないその姿勢が一番怖いですね。

彼女にとって、バベルの会の読書会への参加は他の良家のご子息たちと関係を築くために、丹山家の跡取りとして必要なことであることは理解している様子でした。しかし、だからこそ尚更完璧な振る舞いをする必要があり、無意識下でいる時間を他人と共有することへの恐怖が強かったのですね……

ただ、毎年参加していないのであれば『狩り』から逃れることはできたのかもしれませんね。

北の館の罪人

最初は早太郎があまりに変わったものを買ってくるようお願いするため、早太郎が何か企んでいるのではないかと思いながら読み進めていましたが……彼はあまりに頼んだ材料を使って絵を描いていたのは予想外でした。そして、早太郎の死後にあまりの心中が明らかになてゾッとしました。早太郎に丁寧に接していたので彼女が遺産を総取りしようと企んでいることには一切気づきませんでした。

早太郎はあまりに毒物を飲まされていることに生前から気付いており、その証拠を残すために自身の髪の毛を絵に塗り込んでいたのですね。さらには、家族の姿を時間と共に退色する青で描き、あまりの手を赤と青を混ぜた紫で描いています。そのため、時間が経って家族の姿が消えていくにつれて、同様にあまりの手も赤くなっていくしかけになっていますね!早太郎はあまりに「殺人者は赤い手をしている」と話していることから、あまりが家族を殺そうと企んでいることを告発していることが分かります。殺人者が赤い手をしているという認識を他の家族が知っているかは分かりませんが……もしかするとこれは死んでいく早太郎によるあまりへの牽制だったのかもしれませんね。

ちなみに、あまりが手を下すまでもなく六綱の娘は狩られてそうですね……

山荘秘聞

今作に収録されている短編の中でもコミカルなオチでクスッとしますね!そして誰も死んでいない笑

個人的には主人公が前の奉公先の娘に話したという『牛の首』の怪談が気になりました笑 確か恐ろしく怖い話なため、聞いたら怖すぎて死んでしまうのでその怪談の内容は分からないんじゃなかったですかね?笑

玉野五十鈴の誉れ

今作に収録されているお話しの中で一番好きです!殺人事件が起きているのに何故か心が温まるお話しですね笑 純香と五十鈴の友情が本当に素敵ですよね!圧倒的な権力を持つ純香の祖母に支配されて無力感を何度も感じながらも、お互いを大切に思って生き抜いていく二人の姿に心打たれました。どうかこの後は幸せになって欲しいので、復学したとしてもバベルの会の読書会には参加しなかったことを願っています笑

儚い羊たちの晩餐

全ての短編に登場していたバベルの会がなくなった原因が描かれていましたが、衝撃的でしたね。序盤から目につくのは主人公の父親の自己顕示欲の強さでしたが、読み進めていると成金っぽい父親の行動を冷めた目で見ながらも自身も父に対していちいち知識でマウントを取っている主人公も自己顕示欲が父親同様に強く、似た者親子だなと思いました笑

主人公は自分がバベルの会を追い出された理由に納得しながらも、バベルの会に戻れないことを悔しく思っていました。そのため、バベルの会で羊を狩ることで、自分が空想と現実の境界が分からない人間であることをバベルの会に対して証明してみせようとしました。しかし、厨娘の仕事を理解していなかった主人公は、羊が狩りつくされてしまうなど考えていませんでした。せいぜい数名が被害に遭う程度の認識だったのでしょう。彼女の当初の予定では、自身が空想と幻想を区別できない人間であることを証明することによって、バベルの会に復帰できると踏んでいたのかもしれませんね……

考察

バベルの会について、会長は以下のように述べています。

「バベルの会とは、幻想と現実とを混乱してしまう儚い者たちの聖域アジールなのです。現実のあまりの単純さに、あるいは複雑さに耐えきれない者が、バベルの会には集まってきます」

確かにバベルの会に参加していた登場人物たちは浮世離れしている印象でした。「身内に不幸がありまして」での丹山吹子は小説で読んだ夢遊病者の存在に自分を重ねてしまったことで殺人を犯しており、まさしく幻想と現実を混乱させてしまってますよね。この言葉によって、全ての短編に登場していたバベルの会がどのような存在であったのかが明らかになりますね!

さらに会長はバベルの会について以下のように続けています。

「ただの偶然を探偵小説のように味わい、何でもない事故にも猟奇を見出すのです」

ここからが考察なのですが、この言葉はバベルの会の説明をしているように見せて、実は読者に向けた言葉ではないかと思うのです。今作を好んで読む人はミステリー小説が好きなのではないでしょうか?そんな人は、日常生活の中で起こるちょっとした出来事にミステリー小説のような事件が絡んでいるのではないかと想像することもあるのではないでしょうか?そんな読者に対して、小説のような幻想と現実を混合させる危険性を呼びかけているのかもしれないと思いました。

まとめ

いかがでしたか?今回は米澤穂信先生の「儚い羊たちの祝宴」についてまとめさせていただきました。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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