こんにちは、きなこぬこです。
今回は伊坂幸太郎先生の「ペッパーズ・ゴースト」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。
あらすじ
中学校教師の壇は、他人の体液に暴露して感染することで、その人に翌日起こる印象的な出来事を〈先行上映〉として見ることができる。その力のおかげで偶然にも教え子の里見大地を事故から救うことができたことにより、大地の父である里見八賢に出会うことになる。壇は八賢に自分の能力を教え、一週間後に再び会うことになっていたのだが、八賢が音信不通となる。そこへ、八賢が所属していたサークルメンバーから壇の元に連絡があり、八賢の行方を尋ねられる。彼らは5年前に起こったカフェ・ダイヤモンド事件に被害者遺族の集まりであり、八賢は自分に何かあった時の連絡先として彼らに、壇の名前を「段田」と偽って伝えていた。〈先行上映〉によって八賢がサークルメンバーたちに囚われていることを知った壇だったが、偽名を使っていることがバレて自らも同じように捕まってしまう。そんな彼を助け出したのは、教え子の女子生徒が書いている小説に登場するロシアンブルとアメショーの二人組、その名もネコジゴハンターだった。
以下はネタバレを含みます。
感想
タイトルを見てまず思い浮かべたのが、大好きなディズニーランドのホーンテッドマンションで使われている仕掛けのことです。アトラクションの中盤あたりでゴーストたちが舞踏会を楽しむ様子を上から眺めるところがありますが、あそこの上階で銃を打ち合ったりくるくる回りながら消えたり現れたりするゴーストたちにはこの「ペッパーズ・ゴースト」という手法が使われているそうです!作中でも簡単に説明はされていましたが、気になる方は以下にwikiのリンクを置いておきますのでどうぞ!
ニーチェの『ツァラトゥストラ』に書かれている人生観を作品の随所に織り交ぜながら、交わることのなさそうな様々の立場の人々の人生が重なっていく展開にページを捲る手が止まらず、一気読みしてしましました!
ロシアンブルとアメショーが登場する布藤鞠子の書いた小説が序盤から少しずつ出てきていましたが、まさかこんな風に二人が現実世界に現れるなんて……壇と一緒に大胆な仕掛けに驚きながらも、ハチャメチャな二人が加わることで一気に物語が加速し、壇が非日常的な事件に巻き込まれて逃げられなくなってしまった展開にとてもワクワクしました!
中盤くらいから登場していた成海飆子の独白は一体なんだろうと思っていましたが、これも物語の終盤で成海が壇とネコジゴハンターの二人と合流して今までの経過を話す時に、 物語の終盤にかけての勢いを落としてしまわないための工夫になっていて驚きました!
一見関わりのなさそうな話が並行して描かれながらも、登場人物たちの世界が繋がっていく爽快感、そして人生観や死といった重いテーマを扱っているのにも関わらず重たくなりすぎないテンポの良さ、伊坂幸太郎先生の描くエンタメ小説の面白さがてんこ盛りの作品でした!ネゴジゴハンターの二人がしっかりエンタメを提供してくれつつ、壇や成海たちが成長しながら問題提起をしてくれています。
ニーチェは皆さんご存知の通り「神は死んだ」で有名なビッグネームですが、恥ずかしながら私は彼の思想をイマイチよく理解できていません笑 大学受験で倫理・政経を選択したのでテストのために勉強はしたものの、この本に登場する人物たちの多くが言っているように、「何かすごいことを言っているのは分かるけど、何を言ってるのかはよく分からん」程度の理解しかありません。これを機にもう少し勉強してみようかと思いました!次回書店に行った時、私は間違いなくニーチェの『ツァラトゥストラ』を購入するでしょう笑
考察
今回はニーチェの永劫回帰と、壇の能力〈先行上映〉について考察していこうかと思います!
サークルメンバーたちにとっての永劫回帰
〈先行上映〉の能力と永劫回帰について語ろうとは思うのですが、先に庭野や野口たちサークルメンバーの考える永劫回帰について説明していこうかと思います。
前提として、ニーチェの思想は解釈の幅が広いため、年齢や立場によってとらえ方が変わってくると思うので、あくまで今作を読んで登場人物たちが感じたことを推測しながら書いています。
これが、生きるってことだったのか?よし!じゃあ、もう一度!
羽田野からこの言葉を聞いたサークルメンバーたちは、大切な人を亡くして苦しみながら生きる人生に絶望しているのに、まだ繰り返せというのかという気持ちを抱いています。この想いを「もう一度!」に変えるための一世一代の作戦が、テロ行為もどきでした。
最終的に生き延びたのか否かは分からないので全員が自爆した前提で話を進めますが、彼らは何かの功績を社会に残し、自分たちが生きている意味を見出したかったのではないでしょうか。今後自分たちと同じような辛い思いをする、テロに巻き込まれた遺族を増やさないために、自分たちにできることを考えた結果だったのでしょう。
愛する者を失ったことで絶望して死んだのではなく、自分たちの意志を持って社会のために死んだことで、もしも人生の大半が失意にくれたものだったとしてもその死には意味があり、その死のためなら辛い人生を繰り返すことができるという死に方を決めたのだと思います。
私個人としては、失くしたら絶望してしまう程に大切な人に会えたということこそが、永劫回帰に耐えうる「魂が震えるほどの幸福」かと思ったのですが……みなさんはどうでしょう?
〈先行上映〉ができる壇にとっての永劫回帰
今度は〈先行上映〉によってちょっとした未来予測が可能な壇の考える永劫回帰についてまとめていきます。
壇は〈先行上映〉という力を持ちながら、その能力で知った未来を他人にうまく伝えることができなかったり、能力を活用することで過去に受け持った生徒を救うことができなかったことにより強い無力感を感じて生きています。先輩である父からは「どうにもならないことはどうにもならない」と言われたものの、壇は割り切ることのできない思いを抱えていました。
しかし、ニーチェの言葉を基に彼は自問自答を繰り返します。「ここで逃げてしまった人生を、もう一度と思えるだろうか」と。いつも〈先行上映〉を見ても何もできず、何もできない状況を嘆いて諦めるのではなく、〈先行上映〉を利用することで運命を打ち破るための一歩を踏み出そうとします。こうして、周りの状況で仕方がないと諦めるのではなく、自分の意志を持って、望んで行動することを決意します。
壇は人には見えないものを見ることができるからこそ、自分が何とかしなければいけないという使命感と実際は何もできない無力感に苦しめられてきました。
人より多くのことを知るというのは、人より広い世界を持っているということだと私は考えています。人の世界はその人自身が認識し、知っているものからのみ構成されます。何かを知らないことは、その人の世界にその何かが存在しないことと同義だと思うのです。知ることで私達は自分の世界を広げていくことができます。
人より広い世界を持つ壇は、普通の人が知ることのできない世界を持っています。知ることで自分には本来関係のない未来に関わることになってしまうのです。無理にでも手を伸ばし、全てを何とかしようとしてしまいます。
しかし、ロシアンブルがいうように人は目の前にあることにしか手が届かないのです。壇は今回の件でそのことにやっと気づけたのではないでしょうか。
ところで、〈先行上映〉は周回遅れの「すでに起きたこと」を見ている説が問題提起されていましたが、永劫回帰は同じ人生を繰り返すはずなので違うことに気付いた、と壇が終盤に語っていましたよね。
では、結局〈先行上映〉とは何だったのでしょうか?
ここからは根拠のない推測になっていくのですが、壇が一度考えた、周回遅れの「すでに起きたこと」を見ている説は正解なのではないかと思っています。ではなぜ、〈先行上映〉は変更できるのでしょうか?
それは、永劫回帰は完璧に何から何まで全く同じの人生を繰り返すことではないからではないかと思うのです。つまり、〈先行上映〉で映し出される映像はあくまで周回遅れの出来事であり、いくらでも壇や周囲の人の行動や心情の変化によってパラレルワールドへと分岐するのではないかという仮説を考えてみました笑
同じ人生を繰り返すとしても、毎回同じ選択をするかは分からないと思うのです。そう考えると、人生を「もう一度!」と思えるようになるのではないでしょうか!
まとめ
いかがでしたか?
今回は伊坂幸太郎先生の「ペッパーズ・ゴースト」についてまとめさせていただきました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!
コメント
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