こんにちは、きなこぬこです。今回は米澤穂信先生の「Iの悲劇」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。
あらすじ
南はかま市の公務員の万願寺は、6年前に最後の住人が去ってから無人の山間にある集落・蓑石に市外から住人を誘致する取り組みである市長肝いりのIターンプロジェクトに「甦り課」に所属して携わる。定時に必ず帰る仕事をしない上司の西野と、学生気分の抜けきらず軽薄な行動にヒヤヒヤさせられる新人の観山と共に、定住する人たちをサポートしていた。しかし、蓑石にやって来た住人たちはご近所トラブルや小火を起こし、万願寺の頑張りも虚しくひとりまたひとりと去っていく。甦り課の面々は無事Iターンプロジェクトを成功させることができるのか。
以下はネタバレを含みます。
感想
地域復興に関わる公務員が主人公の物語で、公務員らしい仕事への姿勢や考え方が登場して興味深かったです!一章ごとに蓑石で暮らす住人たちにトラブルが起こり、万願寺や観山が何とか解決するものの、当事者たちは蓑石を去っていきます。このような事を繰り返し、最終的には誰もいない村に戻ってしまいました。
その上、万願寺は最終章で甦り課の目的はIターン計画を進めると共に失敗させることであったこと、そして自分は道化でしかなかったことを知ってしまいます。西野も観山も、もしかしたら万願寺が最後まで気付かなければネタばらしすらしてくれなかったかもしれません。西野は万願寺のことを「命じられた仕事だけこなす、出世欲の強い人物」と考えて駒として使うために甦り課に招いた様子でしたが、実際の万願寺は西野が思っていた以上に住人たちと真摯に向き合い、力になろうと努力していました。役人と住人としての一線は引きながらも、遠すぎず近すぎずで住人たちとの関係を築いていました。
だからこそ、最後の万願寺の「僕は、この仕事を誇っていました」という短い言葉に、彼の悲しみややるせなさが感じられますね。ですが、何も知らずに住人のためを思って奔走し続けた万願寺よりも、住人を直に関わりながらも彼らを退去に追い込むように画策しなければならない観山や西野の方が、複雑な想いを抱いて何度も自分の行いを顧みながら、プロジェクトに携わっていたのかもしれません。
観山が言った「何かを優先することって、何かを後回しにすること」という言葉がとても印象的でした。何かを得るためには何かを捨てなければならないように、財政状況がギリギリの自治体を維持してそこに暮らす人々の生活を守るためには、新たな出費を抑えなければなりません。さもなければ、収支がマイナスになっていく一方です。
Iターンプジェクトは市外から人を呼び込んで住人を増やし、使われなくなった土地を活用するという点においては魅力的な政策に見えます。しかし、作中でも登場するように、救急車や消防車の到着には時間がかかる上に蓑石に救急車・消防車がある時に市街地で何か起こってもすぐに駆け付けられない、スクールバスや除雪機の予算がかさむ、より多くの人が住む地域ですら対策が間に合っていない土砂崩れの対策を迫られる……など、少ない予算と限られたマンパワーしかない役所にかなり大きな負担がかかっており、元々住んでいた多くの市民にも負担がかかるためデにメリットの方が大きくなっていました。
こうなると、何を優先すべきであるかを考えなくてはいけなくなります。個々の顔が見えることで感情移入してしまいそうになりますが、大多数の元々住んでいる人々の暮らしを少人数の蓑石移住者のために蔑ろにはできません。そう考えると、Iターンプロジェクトが阻止されるのは仕方がなかったのかもしれません……
合理的に考えた結果とはいえ、プロジェクトのために奔走してきた万願寺のことを考えるとやりきれないですね。
まとめ
いかがでしたか?今回は米澤穂信先生の「Iの悲劇」についてまとめさせていただきました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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