【「愚者のエンドロール」米澤穂信先生(ネタバレ注意)】あらすじ・感想・考察をまとめてみた!古典部シリーズ2作目!

ミステリー(国内)

こんにちは、きなこぬこです。

今回は米澤穂信先生の「愚者のエンドロール」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。

「氷菓」のアニメは全話視聴済みではありますが、原作も楽しみたいと思いちょっとずつ読み進めています。

 あらすじ

夏休みの終わり、神山高校では一大イベントである文化祭に向けて準備が進められていた。古典部の面々も文集「氷菓」の作成のため、夏休み中も学校に来て打ち合わせをしていた。そんなある日、部長の千反田が「試写会に行きましょう」と言い出す。入須のクラスが文化祭のために作成したミステリーのビデオ試写会に行った4人だが、その映像は途中で終わっており、肝心の解決編がなかった。脚本を書いていた人物が体調を崩してしまい、結末がわからないため続きが撮影できず未完成になっているという。古典部は入須から結末を探す依頼を受け、クラスの人物から話を聞いていく。

以下はネタバレを含みます。

感想

”灰色”であることを信条とする方太郎が「氷菓」での活躍により周りから高い評価を得始めるけど、いまいち自身の可能性を認められない。そんな折、入須からの依頼があり、うまく調子に乗せられてしまうところがかわいい笑

前作からも大人びた印象がある彼ですが、ちょっと子供っぽくて他人に乗せられてしまうところもあって、自分のアイデンティティの確立に揺れている姿に共感できました。

アニメ版で見たときよりも小説の方が奉太郎の心情の動きが緻密に描かれているように感じて、より等身大の高校生っぽい一面を見ることができておもしろかったです!

ちなみに、作中で利用された叙述トリックについてです。

叙述トリックとは受け手側の想い込みや先入観を利用したトリックで、今回はその最たる例である幻の登場人物が犯人というオチになっていますよね!

個人的には好きなオチですが、好みがわかれるところかとは思います。(王道ではない気はします笑)

作中脚本を書いた東郷さんが参考にしていたシャーロック・ホームズシリーズは世界最高峰の推理小説ではありますが、必ず主人公のシャーロック・ホームズが持ち前の観察眼と洞察力を駆使して捜査し、真相を突き止める、というお決まりの流れしかないのです。

もちろんですが叙述トリックなど存在しません。

まさかそこがポイントだとは思いませんでした…笑

考察

 灰色と特別

一作目から灰色でありたいと豪語している奉太郎ですが、今回は入須に乗せられることで信条からブレてしまいます。

それは何故だったのでしょうか。

彼は灰色の青春を望んでいますが、氷菓の一件から古典部メンバーや噂を耳にした入須から評価を得ます。

そのことで少し浮足立ち、言われるがまま少し自分に期待を寄せてみる奉太郎。

しかし、入須が奉太郎を良いように乗せるために心にもない言葉を並べていたことに気づいたときには落ち込みますが、最後は何故か安堵しています。

一連の心情の変化から、奉太郎は灰色であることを望みながらも、能力を特別であると評価されることに喜んでいることがわかります。

彼は、心のどこかでは人とは違う”特別”であることに憧れつつも、平凡であることを自覚して省エネに徹しているのかもしれません。

では、入須の言葉が嘘だったと知った時の安堵は何でしょうか。

これは、自分が周りの人間と同じであることに安堵しているのではないかと考えました。

つまり、奉太郎は”特別”でありたいという思いを抱きながらも、周りと歩調を合わせて目立つことなく過ごしたいという、相反する二つの想いがあったのではないかと思います。

誰もが抱えている想いかもしれませんが、思春期には得にこの想いが強かったことを覚えています。

上手にその複雑な想いを入須に利用されてしまったということですね笑

そんな難しい彼の心情を一連の事件を通して表現されており、アニメで見るより心の変化がくみ取りやすく感じました。

落胆したままではないところが彼らしいなと思います笑

また、最後にチャットで”あたし♪”と名乗る人物と入須とのやり取りが描かれており、入須はおためごかしをしていたことを指摘されています。

”あたし♪”の招待は奉太郎の姉でしょう。

(「地球の裏側の人」でかつ、氷菓の一件を知っている人物であることからの推測になります)

入須は最初から脚本を書いていた人物、東郷が考えていた結末を予想させようとしたのではなく、すでに出来上がっている映像にある内容から面白い結末を導き出してもらうための脚本家を募っており奉太郎に白羽の矢が立った、という流れのようですね。

つまり、脚本は手元にあるものの、入須自身はその結末をおもしろいものとは思えなかった。しかし、面白くないと伝えるのも東郷に失礼だと感じ、面白い結末を誰かに書かせたかったのです。

こうしてその誰かに選ばれたのが奉太郎でした。

この入須の真意からもう一つ分かることことがあります。

それは、入須の言葉がすべて嘘だったわけではない、ということです。

奉太郎が入須に最後に問うたのは、”東郷がクラスのみんなが望まない結末を考えていたため最後まで書かずに放棄し、このままでは悪者になてしまうため”、シナリオコンテストを行ったかということです。少し本筋からずれているんですよね。

入須は表向きは脚本を書いた子を助けるために行動したとしていますが、本当は脚本が面白くないため、このままではクラスの出し物がつまらないものになってしまうと考えて改良しようとしていたのでした。

すべて嘘だったと話したのは、奉太郎の問いを認めてしまうことで東郷が書いた結末が面白くなかったことを認めてしまうことになるため否定したのです。

最初から入須は奉太郎の能力を見込んでこの事件に巻き込んでいたのでした。

まぁ、上手に煽てて利用していることに違いはないんですが笑

奉太郎の今後の活躍に期待ですね!

愚者のエンドロールの意味

 作中で古典部メンバーをタロットカードに当てはめていくシーンがありますが、その時に”愚者”に指名されたのはえるちゃんでした。

今回の一件では、彼女の好奇心は「映画の結末」ではなく「脚本家:東郷の想い」に向いていました。

奉太郎は映画の結末を考えることしか念頭になかったため終盤まで東郷の真意や入須に利用されていることに気づくことができませんでしたが…

映画自体は奉太郎の考えたラストで好評を博し、成功しています。

しかし、ここで終わらないのがこの物語の面白いところですよね!

奉太郎以外の古典部の面々、その中でも特にえるちゃんは、奉太郎が導き出した映画の結末に納得いっていませんでした。

えるちゃんたちの問いかけにより、奉太郎も自身の推理の矛盾に気づき、東郷の真意に目を向けます。

映画自体は完結していることから、その後のこの一連の流れは、さながら映画の最後に流れるエンドロールのようです。

このエンドロールは好奇心旺盛な”愚者”であるえるちゃんの視点があったからこそ得られた結末であり、ここでの”愚者”はタロットではなく”愚か者”と捉え、奉太郎のことも指しているのかもしれませんね。

まとめ

いかがでしたか?

今回は米澤穂信先生の「愚者のエンドロール」についてまとめさせていただきました。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

古典部シリーズの他の作品はこちら!

3作目 「クドリャフカの順番」

4作目 「遠回りする雛」

5作目 「ふたりの距離の概算」

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