【「変身」フランツ・カフカ先生(ネタバレ注意)】身体は毒虫、心は社畜!りんごは何のメタファー?あらすじ・感想・考察をまとめてみた!

名作(海外)

こんにちは、きなこぬこです。

今回はフランツ・カフカ先生の「変身」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。

私は今回表紙のヴィルヘルム・ハマスホイ『白い扉、あるいは開いた扉』に惹かれて角川文庫版のものを購入して読みましたが、他にも新潮文庫、光文社古典新訳文庫、岩波文庫などからも出版されています!

扉の先に虫になった主人公が潜んでいるのかも……なんて考えてしまいますね笑

角川文庫版

新潮文庫版

光文社古典新訳版

岩波文庫版

2012年にはカナダ映画化されています。

あらすじ

どこにでもいるサラーリマンのグレゴールは、ある朝目覚めると巨大な虫けらになっていた。とにかく仕事に行こうと試みるグレゴールだったが、彼の姿を見た家族は驚いて彼を自室に閉じ込めてしまう。何故虫けらになったのかが分からなず、優しかった両親や妹が自分を恐れることにショックを受けながらも、日が経つにつれて虫けらであることに順応していくグレゴール。そんな彼に待ち受けていたのは、不条理で救いのない結末だった。

以下はネタバレを含みます。

感想

個人的にはゴキブリのような虫をイメージしながら読み進めていきましたが、人それぞれのイメージを持ちながら読み進める作品化と思います。冒頭から普通の会社員がある朝突然虫になってしまうという衝撃展開から始まりますが、主人公が虫になったことではなく会社に遅刻したことに慌てている狂った様子が、個人的には虫になった衝撃を上回ってしまいました笑 そういうユーモアにあふれたシーンだったのでしょうか……?

虫になってからの彼は、虫にならないと分からないような苦悩と格闘しながら日々を過ごしていきます。最終的にグレゴールはひとり寂しく死んでしまいますが、結局彼が何故虫になてしまったのかは不明なままです。しかも、人間であった時は自身が一家の大黒柱としてバリバリ働くことで家族を養っていると思っていたのに、グレゴールが死んだあとの家族はピクニックに行って彼がいなくなって良かったと実感する感じで終わります。あまりにも救いがなさすぎませんか……

この記事を書くにあたってネット上でも様々な人の意見を読んでみて、いろんな人がいろんな考察を展開していてとても楽しかったのですが、個人的にはこの作品には特に教訓も何もないのではないか?と思っています。ただただこの世界にありふれている不条理の一例を描いているだけではないかと思うのです。グレゴールの身に起きたことは、私たちの誰にでも起き得ることなのではないかと考えたのです。

もちろん、朝起きたら突然虫になっていることなんてないでしょう。しかし、突然病気になったり、突然交通事故にあったり、突然仕事を失ったりすることで生活が一変してしまうことはありふれた不幸なのではないでしょうか。これらはもちろん予想できることではありません。そして、理由や原因だってないことがほとんどです。グレゴールが突然虫になってしまったことと大差ないのではないでしょうか?

たとえ理由がなくても、原因が見当たらなくても、人はある日突然不幸になるものです。この物語の救いのない不条理な展開に圧倒されてしまいますが、ずっと社畜として働くと思っていたのに突然虫になってしまい、妹を音楽学校に入れてやりたいとずっと思っていたにも関わらず叶えられなかったグレゴールの姿から、同じ明日が来るとは限らないのだから後悔のないように日々を生きることを読者に勧めているようにも考えられるのではないかと思いました。

考察

グレゴールを殺したりんごは何のメタファー?

いろんな人の考察をネット上で見ていくにあたり、多くの人が触れていたのが『りんご』についてでした。そこで、私も自分なりの考えをまとめてみようと思います。

まず、りんごにはどのような意味があるでしょうか?旧約聖書の冒頭で、アダムとイブが食べた禁断の果実はりんごと言われていますよね。そのためりんごは原罪裏切りを意味しています。また、人間に知恵を与えた知恵の実とも言われています。しかし、このままだと少し作中の意味に落としこみにくいので、拡大解釈として私はりんごを知恵の実を食べた人間性の象徴と考えてみることにしました。ここでいう人間性とは、人間の頃から変わらずに持ち続けている感情グレゴールをグレゴール足らしめている精神のこととします。

虫になったグレゴールはどんどんと失明し、腐った食べ物を好み、壁や天井を這いまわります。人間の頃に使っていた部屋の調度品も壁を這いまわるためには邪魔だと思うようになってしまいます。このようにして日に日に人間性を喪失し、虫になっていくグレゴール。そんなある日、彼が死に至る直接の原因となる決定的な事件が起こります。グレゴールの自慢の妹が演奏するバイオリンが、入居者の男たちに蔑ろにされてしまいます。このことをきっかけに部屋から出てきたグレゴールでしたが、母は失神し、父には威嚇されて部屋に追い返されてしまいます。この時に父がグレゴールに投げつけたりんごが背中に埋まり、彼の命を奪うことになります。

グレゴールは人間性を失いつつある中、微かに残っていた人間であった時に持っていた家族への想いで行動を起こした結果、父によって背中にりんごを埋められてしまいます。りんごを人間性の象徴と考えると、りんごはこの事件でのグレゴールの残されていた人間性を表しており、りんごが背中に埋まったまま腐っていったことはグレゴールの人間性が喪失していったこと、そしてグレゴールを殺したのは背中に埋められた彼にわずかに残されていた人間性を象徴するりんごだったということではないかと考えました。

もしもグレゴールが妹のバイオリンの一件に関わらず部屋で大人しく虫のように過ごしていたら、彼はりんごが背中に埋まって死ぬことはありませんでした。そして、その後も変わらず妹に世話をしてもらいながら生き続けたのかもしれません。しかし、彼が完全に虫になることなく人間の頃から続く精神が残っていたからこそ、彼はこのような最期をむかえなければいけませんでした。

以上のことから、作中で登場するりんごが意味しているのは、日に日に虫になっていくグレゴールに残っていた、人間の頃から持ち続けていた精神ではないかと考えました。

まとめ

いかがでしたか?今回はフランツ・カフカ先生の「変身」についてまとめさせていただきました。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

角川文庫版

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