結末までの過程を探す物語!語感が良くてカッコいいタイトルの意味と破滅願望について考察してみた!「原因において自由な物語」五十嵐律人先生 ※ネタバレ注意

こんにちは、きなこぬこです。

今回は五十嵐律人先生の「原因において自由な物語」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。

あらすじ

夜の廃病院をフリーランニングで走り抜け、彼女を殺すために屋上から身を投げる――人気女流作家、二階堂紡季には秘密があった。彼女は、弁護士である恋人の遊佐想護が書いたプロットを元に文章を組み立てている。だから、エピローグで身を投げた高校生の目的も、殺そうとした彼女が誰なのかも、これから描こうとしている物語の先の展開も、何も知らない。担当編集者に気まぐれで作品の冒頭を見せたことで、一年前に本当にあった事件を書こうとしていたことに気付く。理由を想護に問おうと思った紡季だったが、想護が一年前の事件で男子高校生が身を投げた屋上から転落したと連絡を受ける。想護が紡季に書かせようとしたのは一体何なのか、想護は何故因縁の場所で転落したのか……想護の同僚の弁護士である椎崎との助けを借りながら、作家として物語にこめられた謎と現実の事件の謎に挑んでいく。

以下はネタバレを含みます。

感想

「読者が求めているのは、結末じゃなく、そこに至る過程への共感だと俺は思ってる」

紡季と想護の先輩である東條の言葉です。

この物語の冒頭では、作中作で高校生が廃病院の屋上から飛び降りるという衝撃的なシーンが描かれます。これは作中作の、かつ一年前の投身自殺の事件の結末です。つまり、この物語は結末から始まることになります。そして、東條の言葉通り、その結末に辿り着くまでに起こった学校でのいじめや迫害、死への葛藤、周囲の人間の様子を少しずつ描き出し共感することで、この身投げの真の意味を知ることになります。見事な入れ子構造のミステリーになっていましたね!

顔面偏差値を決めるルックスコアというアプリ、そしてルックスコアを基にペアを作る出会い系アプリの故意恋という二つの架空のアプリが作中でも大きな存在感を放っていますが、これらは別に物語の鍵でも主題でも、まして何かしらのトリックに使われたわけでもありません。作中の世界に浸透した生活の一部でしかないのです。登場した高校生たちはルックスコアや故意恋と共に生活しています。

作中でも「選ぶのは、人間だ。けれど、その選択肢は人工知能が作り出している」と書かれていました。これらのアプリ自体に善悪はなく、軍事利用されてしまった核やダイナマイトと同様、利用する人間側の倫理観に委ねられています。琢也の周囲の人間は、これを顔面偏差値が低い人間を炙りだして蔑むための道具として使っていたようですが……機械が出した顔の偏差値だけを鵜呑みにするなんて、自分自身で考えて他人を対する評価することを放棄し、人工知能に任せてしまっているのと同義です。ましてや、それだけの理由で人格を否定するなんて許されることではありません。

自分で考える力を持たないような同級生たちに、本人に落ち度がないのにも関わらず自殺へと追い詰められていく琢也の様子には心が締め付けられました……死にたいと思いながらも死への恐怖から死ぬこともできず、死ぬしかない状況に自分を追い詰めるしかなかったなんて、地獄以外の何物でもありません。彼が味わった苦しみを完全に理解することは出来ません。それでも、物語として彼の主観から事実を映し出していくことで、読者はきっと辛いほど彼の痛みを知ることができたのではないかと思います。想護が思惑通り、物語を描き文章として伝えることで共感させられてしまいましたね!笑

物語の構成といい伏線の回収の見事さといい、そして物語に込められたメッセージ性の強さといい、本当に素敵な作品でした!

考察

「原因において自由な物語」というタイトルの意味は?

そもそも、このタイトルの元となった言葉である「原因において自由な行為」とはどういう意味なのでしょう?

完全な責任能力を有さない結果行為によって構成要件該当事実を惹起した場合に、それが完全な責任能力を有していた原因行為に起因することを根拠に、行為者の完全な責任を問うための法律構成のこと。

wikipediaから引用(2021.9.16)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AA%E8%A1%8C%E7%82%BA

上記の説明があり、作中でも想護が説明してくれてはいるものの、ちょっと分かりにくいですよね笑

この法律構成は、刑法第39条によるものです。

刑法第39条

1.心神喪失者の行為を罰しない。

2.心身耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

wikipediaから引用(2021.9.16)https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95%E7%AC%AC39%E6%9D%A1

色々とややこしいことを書きましたが、作中で紡季が言った「最初から殺すつもりだったかが重要」という説明が一番分かりやすいなと思いました。

つまり、犯罪を犯した時に精神状態に関わらず、犯罪を犯すまでの過程で犯罪を犯すという意志を持っていれば罪に問われるということですね!

感想で東條の言葉を引用し、物語においては過程が重視されるということに触れました。この物語では、琢也が自殺に至った経過を描いています。つまり、自殺をするという意志決定に至るまでと、自殺をすると決めてから実際に自殺をするまでの、琢也の心の葛藤や苦しみが描かれているのです。

以上のことから、この紡季と想護が作り上げ、私たちに伝えようとした「原自物語」というのは、最終的には自殺を選んでしまった琢也の「痛みを痛みとして伝えるための物語」、すなわち「原因において自由な物語」なのです。

これ以上ないくらいに内容とピッタリ合ったタイトルですよね!

破滅を求める人たちと「原因において自由な行動」

上で説明した「原因において自由な行為」のことを踏まえて、自殺を選んだ琢也と作家としての人生を終わらせようとした紡季の二人の破滅願望の話をしていこうかと思います。

琢也と自殺

彼の考えの中心にあったのは、テレビにコメンテーターとして出演していた女性の精神科医の、とある女性が我が子を殺して自らも自殺したという事件についての発言でした。

死にたいではなく、死ぬしかないと考えるようになれば、人は死を決断できるのかもしれません。(中略)積極的な殺人が、消極的な自殺を導いたのだと思います。

個人的には非常に納得した理論だったので、何故テレビに批判が殺到したのかはイマイチぴんとこないのですが……やっぱり不謹慎なのですかね。ともかく、この言葉を聞いた琢也は「弱い人間が自殺を決行するには、他者の命もすがるしかない」と考え、死ぬしかない状況を作り出そうとします。こうして、彼が自殺へと踏み切る手段として殺されそうになったのが沙耶でした。彼の立場に同情はしますが、あまりにも身勝手ですね……

琢也は死を恐れながらも何とかして自殺したいと思っていました。殺人を犯すことで社会的に自分を殺して罪を負わせることで、自殺という目的を達成しようとしたのです。自殺するための最後の一押しとたのが、社会的に自分を殺すことでした。

最終的には掴んでいた沙耶の上履きが脱げたことで落下してしまったのですが、そこに至るまでの過程には確実に沙耶への殺意も自分自身への殺意も持っていました。

紡季の「自殺」

紡季は自殺してないだろうと思いましたか?いえいえ、彼女も自殺しています。それも琢也と同じように、他人を巻き込む形で、です。

彼女が望んだ破滅は、「社会的な死」です。そして、その目的は「作家である二階堂紡季の死」でした。そのために、想護を、東條を巻き込み、終わらせようとしました。作家としての死は未遂に終わりましたが、スキャンダルによる社会的な死は達成しました。しかし、琢也の事件の真相を知り、関係者と関わることで作家としての自分を殺してしまう前に、彼女がやろうとしていることが卑怯であることに気付けました。

琢也もそうなのですが、そもそも彼らが破滅願望をかなえるためにとった手段は本当に卑怯なんですよね笑

というのも、原因が自分にあったとしても、全て周囲の環境や他人に責任転嫁してしまう手段だと言えるからです。自分は本当はこんなことしたくないがどうしようもない状況だからそうした、という、行動の原因に自分の意志はなく、周囲のせいでこうなったから自分はかわいそう、自分は悪くない、と主張するための方法なんですよ。その卑怯さに紡季は気づいたからこそ、作家としての自分をどんなに認められなかったとしても、作家を辞めるのはスキャンダルのせいではなく自分の意志で辞めるべきであることが分かったのです。

この二人の対極にあるのが想護であり、どんなに学校側から圧力をかけられても、それを自分が関わった学生たちを救えなかった原因にすることなく、何とかして自分が調査した内容を発信するために物語を作ろうとしました。彼は不条理に対して屈することなく、自身の意志に従って戦う手段を模索していました。だからこそ紡季は想護のことを「すべてが自由で、何一つ縛られてない」と言ったのではないかと思います。

まとめ

いかがでしたか?今回は五十嵐律人先生の「原因において自由な物語」についてまとめさせていただきました。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

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