こんにちは、きなこぬこです。
今回は村田沙耶香先生の「生命式」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。
あらすじ
生命式
人口減少に伴い、死人の肉を食べながら性向の相手を探す「生命式」が従来のお葬式に代わってスタンダードになった世界。ほんの30年前までは人を食べることに対して嫌悪感を抱いていた人たちが生命式について人肉を食すことこそ人間の本能であると語る社会に、池谷は違和感を感じる。そんな中、親しくしていた山本が突然交通事故で死亡し、生命式に参加することになる。
素敵な素材
人の体を素材にした製品が最高級品として扱われる世界で、ナナはそれらを忌避する婚約者のナオキに戸惑いを感じていた。そんなある日、結婚式について相談するために二人でナオキの実家を訪れる。
素晴らしい食卓
幼い頃から前世の自分は魔界都市ドゥンディラスに住んでいたと言い張る妹の久美は、婚約者の両親に自身が前世で食べていた料理を振舞うと言い始める。一般的ではないそれらの料理を提供することに難色を示す主人公だったが、妹の婚約者の希望と聞いて協力することになる。
夏の夜の口付
処女のまま出産を経験した芳子とセックスが好きな菊枝、正反対の二人のとある夏の夜の話。
二人家族
女性二人で家族として子供を産み、育ててきた芳子と菊枝。世間から理解されなくても支え合い生きてきた二人だが、菊枝ががんになったことをきっかけに不安が強くなる。
大きな星の時間
日が沈むことなく、誰も眠らない街にやってきた少女の話。
ポチ
裏山の小さな小屋で飼っているポチの世話をするミズホとユキの話。
魔法のからだ
中学生の瑠璃は、大人びている同級生たちが性的な「進んでる」話をしている中、あどけない詩穂の自分の身体と欲望に自分らしく向き合う詩穂を尊敬し、憧れていた。
かぜのこいびと
奈緒子の部屋のカーテンである風太は、奈緒子の成長を見守ってきた。高校生になり、奈緒子は彼氏のユキオを部屋に連れてくるようになる。
パズル
自身の無機質さを嫌っていた早苗は、他人の吐息や汗、吐瀉物などの有機的な生理反応に対して憧憬を抱いていた。そんなある日、コンクリートも人間も同じであることに気付いて世界が変わる。
街を食べる
幼い頃に田舎で食べた野菜の味を忘れられず、都会のしなびた野菜を食べられない理奈。友人に勧められて都内に生えている蓬を探しに出かけるが、都内に生える草の汚さや周囲の目が気になって惨めな気持ちになってしまう。
孵化
小中学生時代の「委員長」、高校生時代の「アホカ」、大学生時代の「姫」、バイト先での「ハルオ」、そして職場での「ミステリアスハルカ」。性格がないハルカは、所属するコミュニティに求められるキャラを形成し続けることで、関わる人によってキャラを使い分けて生活していた。結婚式で異なるコミュニティの人たちを呼ぶため、どのキャラとして振舞うべきか悩むハルカは、5つのキャラの全てを知る親友のアキに相談する。
以下はネタバレを含みます。
感想
本能なんてこの世にはないんだ。倫理だってない。変容し続けている世界から与えられた、偽りの感覚なんだ。
「生命式」
上記の言葉のように、私たちが持っている常識や倫理観はこの時代のこの場所においての常識でしかなく、時代や場所が変われば非常識だったり残酷だったりするのかもしれません。常識にも倫理にも、普遍性など存在しません。正常の範囲を決めるのはそのコミュニティを形成している人々です。その正常から逸脱してしまった人間を異常と呼び、社会からはじき出すことで正常な人間が大多数である社会は保たれています。
「生命式」ではカニバリズムが正常、「素敵な素材」では死人の存在を使った製品に価値があることが正常な社会が描かれており、今の私たちの価値観とは異なった世界に連れていってくれます。しかし、カニバリズムという価値観を持ち、死人の製品を好んで使うことを残酷だと感じる私達は、作中の登場人物たちの目からすると異常となるのでしょう。
共通する常識や倫理なんて持っていないのに、どこからどこまでが正常であるのかを誰が決めているのでしょうか?結局のところ、個人個人が持つ常識や価値観の許容範囲外の物事を一方的に異常と決めつけているだけなのではないでしょうか?
「だって、正常は発狂の一種でしょう?この世で唯一の、許される発狂を正常と呼ぶんだって、僕は思います」
「生命式」
正常であることとは大多数の人間にとっての許容範囲内というだけであり、他の文化を持つ人間から見ればどれだけ異常だとしても、マジョリティでありさえすれば正常であるということを今作では教えてくれます。
「生命式」が行われている世界は異常に感じるかもしれませんが、カニバリズムに嫌悪感を抱く方がマイノリティの社会が描かれており、人肉を食すことはその社会ではマジョリティです。
「素敵な素材」では私達の多くが抱くのと同じように人間でできた製品に対して嫌悪感を抱いている主人公の彼氏が異常者として描かれています。この世界では人間を素材にした製品を忌避するのはマイノリティです。
「夏の夜の口づけ」「二人家族」に登場する二人は一般的ではない形で家族になることで、周囲からの理解を得られず戸惑います。「魔法のからだ」では、性的な話題を面白おかしく話す人間がマイノリティな中で、ふたりの少女は自身の快楽と身体とにしっかり向き合おうとします。「パズル」の主人公は自身の無機質さから他の人たちとの疎外感を感じ、「孵化」では多くのキャラを使い分ける自分を異常だと感じています。世の中の正常や普通から逸脱した自身に戸惑い、それでもその状態を受け入れて生きていこうとする彼らの姿が描かれており、自身の価値観を大切にすることを教えてくれます。
自分の正常は誰かにとっての異常であり、理解を得られなかったとしても自分なりの価値観を大切に育てて向き合っていくことの大切さ、そして自身の価値観を他人に無理やり押し付けてしまうことの怖さを、この様々な不思議な世界に飛び込ませてくれる短編集を読んで感じました。
考察
個人的にカニバリズムと聞いて連想するのは「羊たちの沈黙」でおなじみのハンニバル・レクター博士ですが、「生命式」で描かれているカニバリズムはレクター博士のように嗜好品としてのカニバリズムではなく、「生命式」と名付けられた儀式としてのカニバリズムでしたね。
現代日本においてカニバリズムは倫理的に一般的ではないと思いますが、歴史上カニバリズムは世界各国で行われてきました。飢饉や漂流などの極限状態においてやむを得ずカニバリズムを行う例もありますが、今作は人肉をもっと身近なものとして、嫌悪感を抱くことなく摂取しています。食べることで死者を弔い、生(性)へ繋げるというのは、作中で言及されているように確かに生者を尊重した儀式のようにも感じます。
「素晴らしい食卓」では様々な異文化の食事が一同に会しますが、無理やりお互いの食事を強要することなく共存するという結論に至っていましたね。
都心で草を探して食べる「街を食べる」では、街に生えている草を食べることで街の生活に馴染み、同じように街の草を友人に食べさせることで自分の文化に引き込もうとしていましたね。
「素晴らしい食卓」の主人公は「食べることは、その食べ物の世界に洗脳されることだ」と考えていましたが、私もそう思います。黄泉の国では食べたものを食べると現世に戻れなくなる、つまり黄泉の国から出られなくなってしますし、海外でも同じように何かを口にしてしまうことでその食物を作った世界に囚われてしまうという話が存在します。
私はこの短編集で登場した食べ物たちを食べるという行為は、それらの食べ物の持つ文化への強制的な参加を意味していたように思いました。食べることで人肉を食べる文化を共有し、食べないことでお互いの文化に干渉しない。そして、自分の文化を食べさせることで自分の価値観を押し付ける。他人の食べ物を食べることは相互理解の手段であり、共通のものを食べることはコミュニティを形成するための方法なのだろうと考えました。
まとめ
いかがでしたか?今回は村田沙耶香先生の「生命式」についてまとめさせていただきました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!
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