こんにちは、きなこぬこです。
今回は一篠次郎先生の「レプリカたちの夜」を読んだ感想・考察についてまとめていきます。
こちらの作品は第2回新潮ミステリー大賞受賞作ですが、ミステリー……?っていう感じではありました笑
1.あらすじ
深夜の工場で往本は、二足歩行で歩くシロクマに遭遇する。シロクマの絶滅したはずの世界で動物のレプリカ工場に突然現れたシロクマ。工場長に報告すると、シロクマを産業スパイとして始末しろと命令される。往本は自身の連続しない記憶と、他人との認識の違いに違和感を感じながらも、シロクマの招待を探るために同僚たちと共に奔走する。
以下はネタバレを含みます。
2.感想
序盤……いや、中盤くらいまで、世界観が全然つかめませんでした笑
読解力がないだけなのですが……笑
主人公や周囲の登場人物たちの発言がかみ合わず、読んでいて頭の中がはてなマークでいっぱいでした笑
ですが、気が付いたら世界観にどっぷりはまり込み、次々と起こる不可解な事象に対し主人公と共に頭を悩ませていました!特にC-22の登場からは一気にのめりこんでしまいました。
公式ではミステリーというジャンルに分類されていますし、伏線がたくさんあって回収はされていくのですが…ジャンル的にミステリーというよりはSFかなって気がします笑
世界観に関して十分な説明がないところも読者に考える余地を与えており、その後の主人公たちの生活はどうなっていくんだろうと気になってしまいますね。
最初のシロクマのインパクトが強すぎて、なかなか本質に迫りにくい構成になっていたのは見事だなぁと思いました!
個人的にはプリンプリン音頭がかなり物語に重要なキーになっていたことが衝撃でした笑
今回の考察では世界観を自分なりに考えてみようかと思います!
3.考察
1.この世界はどういう世界?世界観について考えてみた!
まず、大前提として……実は作中、人造ではない生物の存在が確認できないんですよね!
これは衝撃ですね…みんなみんな作り物なのです…
往本たちを管理していたMK部の往本も人造人間でした。
ただし、唯一人造ではない可能性が高い人物がいます。
それは、レプリカとして支給されたはずのうみみずです。
レプリカが踊るとドロドロに溶けてしまうプリンプリン音頭を踊っていたのに、彼女だけが溶けていないんですよね…
少なくとも、往本たちが暮らす作中の世界は、何者かが管理する世界であることは確かです。では、何故作られた生物たちが暮らす世界が作られたのでしょうか。
理由として考えられるのは以下の3つだと思います。
①何らかの原因で人類が一気に減少したので増やした。
原因の推測は作中の情報からでは困難ですけどね…作中の会話から同様に動物もほとんどいなくなっている可能性が高いようです。
この場合、往本たちを管理する大本の存在が同じ世界に存在することになります。
②主人公たちの暮らす世界は誰かが作った箱庭で、外界に観測者が存在する。
この場合、作中の世界に登場する人物は全員作られた存在であり最初から存在しないが自我がある、もしくは外界のに存在している観測者を模倣しているという2つが考えられます。
③ ①かつ②の世界
外界の観測者によって管理された箱庭の中で生き物がたくさん死んだため、生き物を増やした。
個人的には仮設③を推します笑
根拠としては、往本たちは日々を懸命に生きているにも関わらずあまりにも存在をないがしろにされている感じがするからです。
神のような絶対的な存在が管理者として存在しているように思います。
また、仮設③を推す根拠としてC-22の存在が挙げられます。
C-22はバグを修正する、いうなれば血液内の免疫機能のような存在であると考えられます。
ぷりんぷりん音頭を周囲の人間に広げる粒山はこの世界においてバグでしょう笑
命を狙われることも納得できます。
ここで気になるのはリセットされても復活する人間(往本、粒山、うみみず等)と消去される人間(工場長)がいることです。
前者は周りの影響で少しずつ世界の違和感に気づいていきます。
そして、物語の最後では自身の頭髪が人工物であることに気づくものの、検査キットに不備があると考える往本の姿が描かれています。
しかし、工場長は(過程は不明ですが)自己の自我に疑問を抱いてしまいます。
これは修正の効かないバグであり、この世界から消去されてしまった原因なのかもしれません。
うみみずも自我について考えていましたがそれは自分自身ではなく他の生物の自我についてであり、自己の自我については疑っていません。
2.自我による存在証明の否定
この作品の怖いところ、それは「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)が否定されていることです。
デカルトが世界の存在を疑った末に唯一疑うことができないものとして残ったもの、それが自我なのです。自分という存在です。
ですが、この作品ではそれが否定されてしまいます。
「仮に自分が偽物だとして、それは自覚できるものなのかな。自我ってなに。そんなの存在するの。それが自我だとどう証明するの」
MK部の往本が主人公の往本に伝えた言葉です。
自我があること≠自分が存在することについて言及しています。
作中では自我の不確かさ、自分という存在を証明することが困難であることが繰り返し描かれていました。
主人公の往本たち「自分は本物でそれ以外は偽物」というスタンスでいましたが、結局全員が作り物でした。
自分は自分だと信じていますが、それは本当なのでしょうか。証明できないのです。
この作品内で不思議な世界が問いかけてきているのは、非常に哲学的で答えのない問題ですね笑
4.まとめ
いかがでしたか?
今回は一篠次郎先生の「レプリカたちの夜」についてまとめさせていただきました。
よくわからない世界だけれど考えさせられる、不思議な作品でしたね笑
最後まで読んでいただいてありがとうございました!
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